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2013年6月

2013年6月29日 (土)

ピアノ

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私の母は、私の子供達をとても可愛がってくれた。血の繫がりの無いのに。
長女がまだ保育園児の頃、当時はまだ高価なピアノを購入し、近くの塾に手を引いて連れて行ってくれた。
だから長女は今でも母の事を尊愛している言葉が出てくる。

この絵はピアノとは全く関係ないが洞穴の中から見えてくる世界が
子供達の祖母に対する、尊愛の心に通じる物がある。
絵はまだ制作中、人類愛に通ずる深い絵に仕上げたい。

上の木の葉っぱは之から茂みの深い愛情溢れた、ものにしたい。

先週土曜日の、近松物語の『階段を登るの』の絵が、近松記念祭の
ポスターに採用された。嬉しい限りです。

2013年6月25日 (火)

花火

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祖父ちゃんと『花火』
小学6年の夏、祖父が突然『嘉信鯖江の花火見に行くぞ』と言ってくれ嬉しかった。
当時はまだ町村合併前で、河和田村の時代、鯖江は隣町だった。
夕方バスに乗り西山公園の上花火会場に登ると満員の人だかりだった。

日が暮れて、パチパチと花火が始まり、わーと歓声が上がり綺麗だった。そして最後の打ち上げ花火、
爺ちゃんは小さな私を抱き上げ、『見えるか、見えるか』と声を掛け叫んだ、『見えるよ、お爺ちゃん』と言うと、
『ほうか、ほうか』と満足げに笑顔で答えてくれた。

当時は終戦直後で、まだバス代も尊い金額で、家族全員で花火を見に行く事は出来なかった。
なのに、祖父は私だけ連れて花火見学に行ったのか。…………
私は小学入学からの虚弱体質が続き学校に行ったり行かなかったりの毎日で、当然体育の時間は見学のみ、

そんな私を見かねて祖父は私を喜ばせたかったのでしょう。今思えば、私の寿命は儚い物と考えたのでしょう。
今でもそんな祖父の姿が尊ばれます。


2013年6月22日 (土)

梯子を上る

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鯖江市の吉江地区に伝わる
近松門左衛門の人形浄瑠璃
その一座の演技の一場面である。

湖に他にも色んな場面があるが
私の絵がまだ製作中なので
仕上がり次第で紹介します。

2013年6月 6日 (木)

刈り込み池・日展出品作

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この絵を出品の為、現在頑張っています。

2013年6月 3日 (月)

刈り込み池を描く

2013年6月 1日 (土)

大病

我家の墓は、現在旧家屋の上にあり、何時でもお参りできます。歴代死者の死亡日を調べると、私の母の前に、姉の母の名が有り26歳とある。姉が1歳のとき無くなったとの事、日本の厳しい時代の医療水準の現状を垣間見る事が出来る。
その兆候が私の身体に現れたのが、小学2年の夏頃、入学時は元気で長い距離を走るのが好きだったのに、夏休の終わり頃にはだるくて起き上がる事が出来ない身体になっていた。

それは、3人目の母が嫁いできた3年目の頃と思われる。そんな私を見て、私を負ぶって狂乱状態で、彼方此方の病院を飛び回り、看病してくれた。そして、勉強も遅れては大変と、学校まで乳母車で連れて行ってくれた。

私をを負ぶって飛び回り、夜は寝ずに看病してくれた。そして、勉強も遅れては大変と、学校まで乳母車で連れて行った。
でも午前中が過ぎると、受け持ちの先生から帰りなさいと言われ母が迎えに来てくれた。そんな小学校が終わり、河和田中学校に進んだが、やっぱり体育の時間は座って見物の日々でした。

そして武生高校、中学での学力不足は当然で、困り果てたが、幸いにも私の従兄弟(一番上の叔母さんの子)武生高校の教師がおり、『私が何とかしてやる武生高校に来い』と声を掛けてくれて、武生を受験し、見事合格。中学の先生方は吃驚。それから、姉が自転車に乗れない私に猛特訓してくれて自転車で通学した。

周りの人の協力に感謝し、私は奮起して、入学時から確り勉強して、無事卒業出来た。
卒業してからは当然の事として、廣瀬嘉座門漆器店の7代目としての修行に着き、65歳に引退するまで、日本中を飛び回った。

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