« 2011年12月 | メイン | 2012年2月 »

2012年1月

2012年1月16日 (月)

父の出征

Photo

後列左より    小川ふじえ、山本五郎ヱ門、廣瀬与作、林重蔵、廣瀬はな
前列左より    小川正雄、小川富雄、小川嘉雄、廣瀬すて、坂下スズ子、廣瀬武雄、廣瀬嘉信、廣瀬嘉左衛門

父の第二次世界大戦出征を祝しての 記念写真(敬称略)

2012年1月13日 (金)

祖父 廣瀬嘉左衛門

Photo


母が亡くなった戦時中、父は戦争で中国へ、我家の全ては祖父母の肩に架かって来たのだろう。
祖父の凛々しい姿。優しい祖母はくの字に曲がった身体で私を育ててくれた。有難う…
きびしい時代、家の柱であった高齢の祖父、今になって写真に深く頭(こうべ)を下げる。

2012年1月10日 (火)

鼻の傷

Photo


幼い頃、自宅の前に小川があった。当時はまだ上水道がなく、地下数メートルから汲み上げ
るガチャコンポンプの劣悪な井戸水で、水量も少ないので、台所の炊事や洗濯物、お風呂の
水まで小川が頼りだった。しかも、味噌汁の中身も小川のしじみ頼りで、子供の大切

な仕事で、しじみ拾いに頑張った。そして小川の石垣には、重曹や蓬等色んな草が生えていて、
転んで怪我をするとその葉っぱを揉み解し傷口に刷り込み直した。そんな小川は
子供の遊び場でも有り、夏は水鉄砲や水浴び場と、地域の貴重な財産でもあった。

そんな穏やかなある日、前日来の雨で小川の水量が増え、子供たちは面白くて、
キャーキャー言いながら遊んでいた。私も一緒になって飛び跳ねていたらよろけて川に落ち、
橋の下まで流された。それを観て近くにいた母はわーと叫んで橋の下まで助けに来て拾い上げてくれた。

その傷か今でも鼻の上部に残っている。私の思い出深い大切な母のしるし傷である。

2012年1月 7日 (土)

生い立ち  ハンカチ

Photo


私が満5歳のとき母が30歳で亡くなった、その後父は3度目の結婚をした。
だから私は母の事は余り知らない。だけと70歳を過ぎた今、
母の事を頻繁に思い浮かべるようになった。その想い出を微かな記憶を頼りに話したい。

ハンカチ  
歩くのが少し上手くなった頃のこの写真の3歳頃だろうか、母の実家に行った、
バスに乗り電車に乗り継いで10キロほどの道程を手を引かれながら行った。
途中汗が出てハーハー云ったら、母がハンカチを出して額の汗を拭ってくれた。

そのハンカチの甘酸っぱい母の匂い数十年たった今も鮮明に覚えている。
この写真はその頃、姉と写した写真で3歳位だったろうか。

2012年1月 2日 (月)

母との想い出

Photo


私が満5歳のとき母が30歳で亡くなった、その後父は3度目の結婚をした。
だから私は母の事は余り知らない。だけと70歳を過ぎた今、やたらと思い浮かべる事が多い。
でも、母は5歳で世を去ったので、幻の様な想い出しかない。

新春にその僅かな想い出の夢の世界を彷徨って見たい。

Powered by Six Apart