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2011年5月

2011年5月26日 (木)

大名膳

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昭和40年代(1965年)に入ると、田中内閣の列島改造論が叫ばれ、都市部だけでなく、農村地帯にもゆとりが出来、農協などの団体旅行がブームとなった。
その一番が、手軽な各地の温泉旅館で、(ノーキョーさん)の温泉ブームが始まった。

その為各地の温泉旅館は設備の充実に力を入れ、当越前漆器業界への大量発注が通常化してきた。大量生産には木製品では限界があり、そこに登場したのが、大量生産可能なABS樹脂である。…… その製品の一番手が大名膳で、越前漆器業界の花形製品となった。

2011年5月20日 (金)

日本画

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私は日本画を始めて間もなく2年になりますが、その過程を、
飛騨高山の街並みを描きながら進めてみます。

前回18日の絵は次回作の下描きです。最終的には100号の日本画になります。
私は今から毎日イメージトレーニングを繰り返し、3ケ月かけて仕上げます。
順次ブログに投稿しますのでよろしくお願い致します。

今日のスケッチ福井県に隣接している、京都の美山村ですが
今でも茅葺の村落が保存されている、貴重な文化遺産です。

2011年5月18日 (水)

伝統産業

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飛騨高山の街中を散策すると、この絵の様な重厚な酒蔵が多くある。
山深い町なので水の美味しさも適しているのであろう。
永い伝統を忍ばせる、蔵の裏側を流れる水も透明で実に美しい。

2011年5月10日 (火)

近衛兵と二重橋

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  …白峰村の古い寺…


父の兵役は皇居に赴き、近衛兵として二重橋で門番として立っていた、と聞いていた。
私は幼い頃から、その厳格な父が好きであった。
そんな父も、私生活の面では苦労をしていて、最初の妻は3歳の女の子を残し25歳で死別、間もなく第二の結婚をしたが、

その妻にも5歳の私を残し30歳で死別、そして、私が7歳のとき3人目の妻と結婚をした。その母は再婚で、初婚は東京で、子宝に恵まれなかったが、東京での楽しい想い出を一杯私に聞かせてくれた。そして、私たち姉弟を我子様に大事に育ててくれた。それだけでなく、姉の子供2人、私の子供3人も大切に育てくれた。今でも深く感謝している。

2011年5月 9日 (月)

震災の復興を念頭に

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 …〔一里野高原の民宿〕…


当社は4月決算なので今月5月が新年度となる。
昨年度は当初から順調に売り上げが伸びていたが、関東、東北大震災発生に影響されて
3月後半から売り上げが落ち込み、現在も低迷の状態から抜けきらない。

仕方ないと、諦めている物の商売は生き物、災害地を助けるためにも元気を出して収益を上げ、企業の存在価値を示さなければならない。復興事業にあやかり<頑張ら無ければならない。
それが災害復興の資金源になる。事業は休めないのである。


2011年5月 7日 (土)

日本再生

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この度の震災は、人の心を如何変えたか。このことを真剣に受け止めて仕事(商売)に対処しなければならない。
当社には、災害に遭った温泉旅館向けの大名膳で一番単価の安いシステム膳シリーズの
尺八膳、尺2膳、尺○膳、等、数種類ある。国の震災援助や国民の理解などの復興ムードが波に乗れば、当社は売り上げ倍増のチャンスが来る。
此れからは全ての企業が大きな利益を確保しなければ、被災地を助ける元本が得られない。

頑張ろう皆

2011年5月 6日 (金)

人生の騒音

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雑踏の中に、若者、お年寄り、男の人、女の人、幼児、足の不自由な人、健康な人、人生に失敗した人、いろんな人が歩いている。ぼんやり観ていると、一塊の騒音がワーンと響いて来る

2011年5月 5日 (木)

越前漆器まつり

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3日、4日の二日間、越前漆器まつりが伝統漆器会館で開催された。当社も出展したので
その模様をスケッチ風に編集してみた。
今年は20年ぶりに、地区の祭から外れ、漆器業者専属のまつりとした。
その為、県内外の各地から大勢の客が訪れ、終日大賑わいとなり、閉店時刻を一時間伸ばした。

2011年5月 2日 (月)

親父の経歴

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西山塾の本題…『菜の花』…


私の父は97歳で他界したが
その経歴は強烈であった。
10代目・廣瀬家の長男

軍歴は当時最も輝かしい
近衛兵として、天皇陛下の元へ
二重橋の上で拳銃を掲げた

その日常は堅物の見本で
私生活は自欲を排し、堅実を自負した。
二度目の軍暦は日清事変で中国へ。

更に最後は太平洋戦争

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