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2010年10月

2010年10月29日 (金)

中学卒業・高校進学

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        …こおろぎ橋の下で③…

   中学生になり体力も人並みに回復したが
   引き籠りによるの精神面のギャップは残り
   運動面での遅れを戻すのも時間がかかった

   体育の時間はランニング程度でも苦しく
   休まざるを得なかった。そんな状態が
   卒業年まで続き、卒業そして高校

   私の進んだ武生高校はは戦後の混乱期で、
   教育制度大改革中、粟田部地区などに散在した
   家庭科専門学校等を吸収50人規模のクラスが

   20数ホームの巨大さで、教室が足りず
   1年生が元武生中学校跡地
   2年生が現在菊人形会場の武生女学校跡
   
   3年になり、
   普通科・商業科・工業科・家庭科
   全学年、全学科が現在の場所に集結

 

2010年10月28日 (木)

祖父の思い出

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…三国海岸にはスケッチの様な松並木が並んでいる…

     祖父は廣瀬家5代目

    四人兄弟の長男で 幼名 庄之助

   毅然とした人格者、人望が厚く、85歳で亡くなるまで
   越前漆器共同組合理事長・河和田農業協同組合理事長も経験した
   3代続けて理事長経験は漆器業界で廣瀬家が始めて

   小学5年頃には私の体力は徐々に回復し、
   自分で歩けるようになった。そんなある日
   祖父が私に突然『花火見に行こう』と誘ってくれた

   当時、花火は戦後復興の象徴で、日本中
   祝い事は花火のオンパレード 鯖江市の中心にある
   西山公園の広場に人々が集まり、パパパーンと打ちあがると

   ウオー・ウオーと盛大な歓声。祖父は私を抱き上げ、
   満面の笑みで『見えるかー見えるかー』と必死に叫ぶ
   うれしかったなー・お爺いちゃん

   世間では強い人で通っていたが、私には特別優しく

      大好きなお爺(おじじ)

2010年10月27日 (水)

神に祈る

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…こおろぎ橋…橋の近くには色んな旅館が散在する…

       神のお言葉を伝える
       本城千代子女史
       蒼白な顔に、目はそぞろ

       その神々しいお姿に
       思わず頭が下げる人々
       神の教えは新た成り

       神を信じ祈り
       真剣な親子の姿が
       連日、金沢の町を歩き回った

       生きる喜びを信じて

2010年10月26日 (火)

新しい母

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     ……山中温泉こおろぎ橋……
     
      戦後の混乱で医療技術は
      バラバラ、治る病も治せない
      社会情勢が、幼い命を左右し
  
      家族の心が祈祷師に頼る
      姿は、当然の摂理か
      金沢市内の小高い岡

      本城千代子・女史の
      祈祷所の白い幕に頭を下げ
      ジーンとお祈りしていると

      身体がふんわり軽くなった
       

2010年10月25日 (月)

育ての母

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      …裸婦スケッチ②…

     私が小学に入ってまもなく
     戦争は終わった
     そして新しい母が現れた

     時を同じくして私は
     長い闘病生活に入った
     母は幼い命を救う為

     知り合いを頼り
     病院、治療院、祈祷師
     信仰宗教、などなど

     私を背負い、手当たり次第
     歩き回った、でも
     良くなる気配は見えず

      途方にくれた

2010年10月22日 (金)

母との別れ

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         …裸婦スケッチ…

   県内の絵画愛好家が集まるスケッチ会
   月1回の開催で、毎回2~30人が集まる
   このスケッチは5年前の会員の展示会
   の時に出品した、私の作品です


        ……………………

     大雨の朝、母と表に出てた時
     家の前川の流れが面白いので
     飛び跳ねて遊んでいたら

     バランスを崩して川に転げ落ちた
     私は『ギャー』と叫んで
     バタバタしていたら母が着物のまま

     川に飛び込んで来て助けてくれた
     その時の傷跡が
     鼻の真ん中に残っている

     母との思い出の傷跡
     私の生涯の勲章

     実母の記憶もう一つ
     座敷の真ん中に
     真新しい円い桶が一つ
     周りに近所の人達が一杯

     そして私を見て
     『もおつけないのう』当地の方言で可哀相ねえの意味
     と涙ぐんでいる

     この日は母の葬式だったのだろう
     でも理解できない私は
     大勢の人だかりが嬉しくて

     棺桶の周りをはしゃぎ回っていた
     5歳…母との別れ

2010年10月21日 (木)

お婆の記憶

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     …乗鞍別荘スケッチ…

     

     母の実家に着くと、
     お婆が(母の母)『よーきたのー』
     と真っ黒に日焼けした手で

     私を抱き上げてくれた
     お婆の手が
     気持ち悪かった

2010年10月20日 (水)

ハンカチ

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      …乗鞍高原の河童橋…
     …観光客で賑う堤防散歩…
 

     もう一度実母の記憶に戻る
     母の実家は我が家より10キロほど離れていて、
     訪れるときは、バスと電車を乗り継いで
     更に2㌔歩いた

     当時まだ私は2,3才汗びっしょりに
     なりながら懸命に歩いた。

     母は『あらまーと』言いながら
     胸のハンカチを取り出し
     顔や背中の汗を拭いてくれた。

     そのハンカチの甘酸っぱい匂い 
     数十年前の母の匂い

     今でも鮮明に覚えている


2010年10月19日 (火)

二十歳の自画像

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         …二十歳頃の自画像…
     描いた年代不明により推定年齢

     当時私は7歳前後で何も解らず
     懸命に世話してくれる継母に抵抗は無く
     直ぐ『母ちゃん』と呼べた。
     
     米軍のB29戦闘機の爆音が福井を襲い
     真夜中・福井方面の空は真っ赤に染まった
     間もなく原爆が広島と長崎に投下され終戦となった。、
     

2010年10月18日 (月)

実母の記憶

Kura
 
           …漆器蔵…
     この蔵は漆器の保存用に壁が分厚くて
     漆器の作業にも適するように湿気も保ち
     夏には涼しく、冬には暖かかった。
     
     この蔵の中に父の二人の母に宛てた手紙や
     古い家族の写真が保存されていた。
     量が多いので現在も一部残している。


    私を生んだ母は5歳で亡くなり
    7歳の頃に継母が来た。
    2人の母の写真を元に記憶を辿る。

    更に5つ上の姉の実母は
    3歳の時に無くなり、姉には
    二人目の継母となった。

    小学校の上級生となった姉は
    大人の感情も芽生える頃となり
    次々変わる母に戸惑い、私に聞いてきた。
     『よっちゃん』(私の幼い頃からの愛称)
     『今度の人、母ちゃんて呼べるか?』

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